「カフネ」を読む。
難しい小説は好まない。
息抜きのためにできるだけ気楽に読める本を好んでいる。
カフネはどんな話か知らないが評判が良いから読んでみた。
のっけから暗い展開で辟易して、もうやめてしまおうかと思ったが読み進めると徐々に明るい兆しが見えてきて最後まで読むことができた。
できるだけネタバレは避けつつ軽く感想。
最愛の弟が亡くなっているという状況からスタートする。
子宝を授かれず、子どもを誘拐する妄想をする。
離婚直後。
アル中。
弟の元婚約者から遺産相続を断られてヒステリックになる。
もうどうにも読むのをやめたくなる辛く苦しい展開が最序盤に明かされる。
なんだってまぁ読書で辛い思いをさせられなくてはならんのか。
続きが気になるというより早く読み終わりたくて急いで先を読む。
ボランティアを始めるあたりから、安心して読めるようになる。
しかし間もなく恋愛のお話なのかな?と匂わされ、
最終的に恋愛とは言い切れないが、愛の話なのだなぁと終わった。
こういう世界もあるのだなぁ。
そんな感想。

大人になってから小説を読むことがめっきり減った。
思えば10代のころは小説のシチュエーションに自分を重ね合わせ、ある種「予行演習」のような気持ちで読んでいた。
ような気がする。
将来、小説のようなシーンに自分が置かれるかもしれない。
そんな思いがあるからこそある種の当事者意識を持ち憧れやリアリティを感じ興味を持って読書できたのだと思う。
「俺もかめはめ波出せるかも」と思ってドラゴンボールを読んでいた幼少期の気持ちに通ずる。
今となっては「かめはめ波」は出ないし腕も伸びたりしないことは知っている。
かめはめ波に当事者意識を持つことはできなくなったがフィクションとして面白いお話は読める。

その点からみると、「この本を読むことによって何らか自分を優位に立たせる可能性がある」本は手に取りやすいし、読み進めやすい。
「暇と退屈の倫理学」もその類で、あれを読むことによって、「君はウサギが欲しいからウサギ狩りをしているのではなく、暇つぶしをしたいだけなのだよ」などとしたり顔で人を指摘して調子に乗ることができる。
当事者意識を持てない本を読むときは完全に娯楽として読む。
娯楽で嫌な気持ちにさせられたくないので、何も考えず安心して読みたい。
そんな読書に意味があるのか?
暇つぶしの気晴らしに読んでいるのだからそれでいいのである。
自分の読書の類型になんとなく気づかされた。
一つは当事者意識を持てる本。
読む前よりも自分を優位に立たせる可能性があると思わされる本だ。
二つ目は完全な娯楽として暇つぶしの気晴らしに読む本。
自分の場合は「まずはつらい目にあいその解決によってカタルシスを得られる物語」はどうやら向いていない。
ただひたすら平和な気持ちで読み進めて、「ああ面白かった」という本が良い。
でも平坦すぎて物語にならなそうだ。
最初気楽だと見せかけて引き込んだ後に事件が起きてスパッと解決ああ面白かった。という本がいい。
難しいのは最初に「そういう物語」と知ってて読むとつまらないということ。
どんな本でも最後まで読むと何か得るものがある可能性があること。
読書って難しい。
気晴らしにはならなかったが、自分の嗜好を探るきっかけになったので「カフネ」からも得るものはあったようだ。
そしてこのブログを書きながら「得たからなんだというのか」というニヒリストの存在を自分の中に確認する。


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