『暇と退屈の倫理学』を読む。
一度読んだだけではいまいちわからなかった。もう一度流して読んで、三度目の精読時に解釈がどのように変わるか比較したいので、現在の理解を残しておく。
退屈は苦痛。
人間は何の刺激もない状態=退屈は苦痛で耐えられない、よって気晴らしを求める。
その気晴らしはギャンブルや飲酒や飲食、テレビゲームなど熱中できるものなら何でもよい。
それらの行為は欲望の対象物を欲しているのではなく、それを得る過程による気晴らしを欲している。
つまり、クレーンゲームをする人はクレーンゲームの景品が欲しいのではなくクレーンゲームによって景品が手に入るかもしれないという状態を欲している。
気晴らしは苦痛を伴うものであってもかまわない。
ジョギングや筋トレなどはしんどいけど気晴らしになる。
何の刺激もない状態には耐えられないが絶えざる刺激にも耐えられない。
刺激には慣れてしまい、気晴らしの中でも退屈を感じるようになってしまう。
人の不幸は部屋の中でじっとしていられないところから始まり、退屈を感じない人は幸福だ。その幸福な状態へ至る行動規範を「暇と退屈の倫理学」と呼ぶ。
この状態から脱却するためには与えられた刺激を消費するのではなく、退屈な状態を自覚したうえで自らに課題を課しそれを克服するなど退屈を積極的に享受することができるようになれば良い。
人生なんか死ぬまでの暇つぶしだが与えられた時間を贅沢に能動的に楽しめるように生きろ。

てな感じで受け取った。
3回目の精読後には今度は感想文としてブログに記載したい。
『暇と退屈の倫理学』は暇と退屈の哲学史や暇と退屈と人類の歴史とのかかわりについて書かれている。
それを順を追って読むことにより初めて結論が意味を持つ(と著者は言っている)ので僕が内容を十分に理解し結論を正しく記載してもこのブログを読むだけでは暇と退屈と向きあう術は得られないことをお伝えしておく。
ゆえに何の気負いもなくネタばれできるということでもある。
急に本など読んでどうした?
と思いましたか。
暇すぎて気が触れたわけではありませんよ。
