「白河以北一山百文」現在の福島県白河市より北は価値を認めない。
そんな侮蔑的な言葉だ。
いきなりどうしたって?
いつも不思議に思っていたことがある。
どうして東北は「野党王国」と呼ばれ野党の議席獲得数が多いのだろうか?
だって、批判ばかりして建設的なことは言わない。とにかく与党を攻撃したい。
選挙になっても政策を訴えるよりも批判に終始する。
そのくせ「政権交代!」などと言う。
「そんな他責思考じゃ無理だって」
「何したいのかもわからないのに票なんて入れられないよ。」
そんなふうに思うのだが不思議と我が東北は野党が議席を獲得する。
こんな連中のどこがいいんだべ?
なぜ野党に票を投じるのだろう?と疑問に思っていたがある話を小耳に挟む。
「白河以北一山百文」に象徴される東北への侮蔑と「賊軍」の汚名を着せられた歴史があるからと。

どういうことか。
時は戊辰戦争(1868年)に遡る。
薩摩長州を中心とする新政府軍に敗れ幕府軍は京都から撤退。
さらに江戸城は無血開城により幕府軍は敗れる。
幕府に味方をした会津藩を討とうとする新政府軍に対し東北諸藩は奥羽列藩同盟を結び新政府軍と戦う。
会津藩も降伏し戦線は北上。
かの土方歳三が函館五稜郭で敗れ戊辰戦争は終結。
東北地方は天皇に逆らった賊軍の汚名を着せられ、薩摩長州出身者が明治政府の官僚機構、軍部、警察の要職を独占する。
戊辰戦争は東北に「賊軍のレッテル」と経済的な大打撃を与えた一方「最後まで義理と人情を貫き通した歴史」を誇りとして残した。
明治期に「一山百文」と投げつけられた言葉は東北人の反骨の精神を表す言葉となり、岩手出身の内閣総理大臣 原敬は自身を「一山(いつざん)」と名乗り強烈な反骨精神を示すが暗殺により命を落とす。
こうして東北に反主流派への共感という政治心理を形成。
中央が示す「正解」や「主流」に対して常に疑義を呈し虐げられた側に寄り添う、現代の有権者における「反自民・野党支持」の深層心理として継承されている。(のかもしれない)

しかし今回の衆院選(2026)では東北においても自民党が圧勝。
「東北の意地」、「賊軍の汚名を雪ぐ」といった政治的な文脈で支持者から語られた小沢一郎氏も敗れ、歴史的な大敗。
旧立憲民主は公示前の議席144を21に減らす。
高市旋風はすさまじいが、中道改革連合のスタンスも大いに影響したのではないかと考える。
先の東北人の文脈からすると、政権与党に対立する勢力は理屈抜きに共感する。
中央に対抗し「賊軍の汚名を雪ぐ」潜在的な意識が働く。
しかし今回は「中道」を名乗る。
「左でも右でもない」と対峙する軸を不明瞭にしたのである。
ネットに氾濫する情報は野党憎し、建設的ではない、批判一辺倒。
「対決より解決」の国民民主党は2025に躍進。
戦い方を変える必要があると考えたのは無理もない。
また、東北人の一部、特に高齢の方にはどこか中央に虐げられているという感覚が根強く残っており、それは福島原発事故により再認識された。
中央の電力を賄うために東北が犠牲にされたと捉えたのである。
汚染された土地にも花は咲く、しかし花を愛でる人はいない。
そんな歌が歌われた。
これまで立憲民主党は「原発ゼロ」を理屈抜きに頑なに掲げていたにも関わらず中道においてはその文言を削除した。
電力需要を見据えると実に常識的な判断だ。
しかし、これらの政治的スタンスの転換が野党王国の票を失う最大の原因だったのではないか。
中央と対峙し「賊軍」の声を代弁してくれていたはずなのに、自ら「賊軍」の旗を降ろしてしまった。
政策云々ではなく反骨の精神をもって我々の声を代弁していたのではなかったのか?
おじいちゃん政党だが支援者もご高齢である。
ネットを探してもなかなか支援者の声は見つからなかっただろう。
賊軍の旗を背負っていると想像して野田元党首の弁舌を聞くと、不器用でどこか滑稽にすら見える姿になぜか共感してしまうのは僕だけだろうか。
時代は、そんな「賊軍」の歴史的背景を忘れさせ、世代交代に入ったのかもしれない。
こんな記事を書いて、歴史に思いを馳せる必要はない。
なんちて、長文失礼。



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